2021年02月05日
俺も年を取ったな。。。
気がついたらいつの間にか50を過ぎてる、残りの人生って何年あるんだろうか。。と嫌でも考えてしまうことが増えました。
思い出すと若い頃はいろんなチャンスがあったような、たぶん平凡に生きてきた人たちよりはやや恵まれた環境にいたんじゃないかと思ったりするがそれは随分と昔のようにも感じるのです。
結婚もしようと思えば30あたりでできただろうし、仕事もよそ見をしなきゃ40には安定期にはいってかもしれない。
で、今どうなのか?というと想像してたような明るい未来ではなかったようで、毎日ただ漠然と生きてしまっているような気がしてしまうのです。
いや漠然とも言えないかな。
むしろどこで道を間違えたかと悔やむことの方が遥かに多くて、下手すると一日中そんなネガティブなことばかり頭にあったりします。
けして一生懸命生きてこなかったわけでなく、人から見れば割と真面目に仕事に取り組んでいくタイプの人間には見えてるようです。
確かにそれはそうなんだと思います。
諦めずに取り組むからこそ何かが見えるだろうと信じてやってきたことがいくつかはある。
ところがそれが裏目に出ることもあるわけでして、あまりにこだわるばかりに周囲と足並みが乱れてしまって孤立することもあったわけです。
周りが見えていない状況下で一人信念を貫こうとしても賛同されないものなんですね。
ほんの少し早く気づいてれば、そんなことばかりだったのかもしれません。
そんなわけで今は何に満足できることなく消化不良とも言える日々なのです。
人生勝ち組やら負け組やら区分けがあるのだとすれば現状明らかに負けの方に入るわけで、別に他人から見てどっちでもいいんでしょうが自分としてどうなんだろうと自分に問い掛けてみます。
せめて自分なりに達成感があればそれでいいとしようと、仮にそれが人から見て失敗だろうがなんだろうが、結局自分次第だと思うようにしようと。
まあその時点ですでに若い頃抱いた理想からは何段階も妥協はしてるんでしょうが。
それなりに歳をとると自分の欠点は重々わかっているものです。
わかった上でそれをどう補うか、または誤魔化すかしながら生きていくものなのかな。
いろいろある中で最も致命的な欠点は、自分を追い込めない部分だったりするのです。
真面目に取り組めるのにそれをさらに掘り下げる研究心のようなものが足りないんですね。
そこを突き抜けていればその分野で成功できた可能性があると思います。
半端なところで気が緩んでしまうから人並みなままでストレスに負けてしまう、そういう場面が結構ありました。
言葉を変えれば、50年も生きてきて無我夢中でやれたことがほとんどなかったとも言えるんですね。
小手先でそれなりに評価されてしまっただけのいわゆる器用貧乏ってやつです。
ところが、です。
そう思った時に、じゃあこの後の人生どう生きてくんだ?と。
どうせたいして信用もないし財産もない、だったらもう一度だけ自分を追い込めるか試してみようか?
わずかでもそんな気持ちになれるのは、数少ない旧友たちがまだ挑戦することをやめたわけじゃないだろう的な声援をくれるからでして、きっと彼らはある意味落ち着いて恵まれた彼らの暮らしにどこか飽きてるんでしょうか。
家族がいて家があって生活に困らないだけの収入があって。
面白がってるとも言えるし、半分からかってるのかもしれないし。
でも心のどこかで不安定な生き方を選んだ私を羨ましくも思ったりするのも事実なんだそうです。
結果どちらが幸せかと言えばそれは私のような生き方でないのは間違い無いんですがね。
せっかくなら社交辞令でも声援を送ってくれる彼らの話のネタになってあげるかなと、そう思えるようになったのはこの数ヶ月前ぐらい。
残ってるかどうかもわからない自分の潜在能力に掛けてみようかと。
50を過ぎても夢はある、だからもう少しもがいてみようと思うのです。
思い出すと若い頃はいろんなチャンスがあったような、たぶん平凡に生きてきた人たちよりはやや恵まれた環境にいたんじゃないかと思ったりするがそれは随分と昔のようにも感じるのです。
結婚もしようと思えば30あたりでできただろうし、仕事もよそ見をしなきゃ40には安定期にはいってかもしれない。
で、今どうなのか?というと想像してたような明るい未来ではなかったようで、毎日ただ漠然と生きてしまっているような気がしてしまうのです。
いや漠然とも言えないかな。
むしろどこで道を間違えたかと悔やむことの方が遥かに多くて、下手すると一日中そんなネガティブなことばかり頭にあったりします。
けして一生懸命生きてこなかったわけでなく、人から見れば割と真面目に仕事に取り組んでいくタイプの人間には見えてるようです。
確かにそれはそうなんだと思います。
諦めずに取り組むからこそ何かが見えるだろうと信じてやってきたことがいくつかはある。
ところがそれが裏目に出ることもあるわけでして、あまりにこだわるばかりに周囲と足並みが乱れてしまって孤立することもあったわけです。
周りが見えていない状況下で一人信念を貫こうとしても賛同されないものなんですね。
ほんの少し早く気づいてれば、そんなことばかりだったのかもしれません。
そんなわけで今は何に満足できることなく消化不良とも言える日々なのです。
人生勝ち組やら負け組やら区分けがあるのだとすれば現状明らかに負けの方に入るわけで、別に他人から見てどっちでもいいんでしょうが自分としてどうなんだろうと自分に問い掛けてみます。
せめて自分なりに達成感があればそれでいいとしようと、仮にそれが人から見て失敗だろうがなんだろうが、結局自分次第だと思うようにしようと。
まあその時点ですでに若い頃抱いた理想からは何段階も妥協はしてるんでしょうが。
それなりに歳をとると自分の欠点は重々わかっているものです。
わかった上でそれをどう補うか、または誤魔化すかしながら生きていくものなのかな。
いろいろある中で最も致命的な欠点は、自分を追い込めない部分だったりするのです。
真面目に取り組めるのにそれをさらに掘り下げる研究心のようなものが足りないんですね。
そこを突き抜けていればその分野で成功できた可能性があると思います。
半端なところで気が緩んでしまうから人並みなままでストレスに負けてしまう、そういう場面が結構ありました。
言葉を変えれば、50年も生きてきて無我夢中でやれたことがほとんどなかったとも言えるんですね。
小手先でそれなりに評価されてしまっただけのいわゆる器用貧乏ってやつです。
ところが、です。
そう思った時に、じゃあこの後の人生どう生きてくんだ?と。
どうせたいして信用もないし財産もない、だったらもう一度だけ自分を追い込めるか試してみようか?
わずかでもそんな気持ちになれるのは、数少ない旧友たちがまだ挑戦することをやめたわけじゃないだろう的な声援をくれるからでして、きっと彼らはある意味落ち着いて恵まれた彼らの暮らしにどこか飽きてるんでしょうか。
家族がいて家があって生活に困らないだけの収入があって。
面白がってるとも言えるし、半分からかってるのかもしれないし。
でも心のどこかで不安定な生き方を選んだ私を羨ましくも思ったりするのも事実なんだそうです。
結果どちらが幸せかと言えばそれは私のような生き方でないのは間違い無いんですがね。
せっかくなら社交辞令でも声援を送ってくれる彼らの話のネタになってあげるかなと、そう思えるようになったのはこの数ヶ月前ぐらい。
残ってるかどうかもわからない自分の潜在能力に掛けてみようかと。
50を過ぎても夢はある、だからもう少しもがいてみようと思うのです。
Posted by トラヌやす at
16:15
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2020年12月22日
無気力な日々に対してできること。
人は何もしていないとき、自己嫌悪に陥る。
「何かしなきゃいけないのは分かっているのに、俺は何をしているんだ」
と。
ことビジネスの世界においても同じように何もしたくないという時があり、頑張ってお金稼ぎをしているのだけど、どうしてもうまくいかないときというものがあるわけだ。そう言った時はえてして、投げ出したり、サボりたくなるわけだ。
そう言った時に我々がすべきことは何なのか。と言えば、個人的に思っていることは、
「好き放題やってみる」
ということではないだろうか。
結論を言えば、上手くいかないときというのは何をしてもうまくいかないのだ。スポーツをやっている人間ならわかると思うが、流れというものが世の中にあり、それに流されているうちはどんな努力も無に帰すわけである。もうそれならば諦めて、自分の好きなようにやってみる。思いついたことを手あたり次第にやってみる。
これでいいと思うのである。
何もしたくないときに最も不味いことは、何もしないことだと思う。動かないと結局は何も変わらないのだ。雨は待っていてもやむかもしれないけど、現実の災難とか、苦悩はそんなに甘くないわけで。
そういった状況ならば、いっそのこと遊びでも、娯楽でもなんでもいいから、動いてみる。思考停止で感覚でやってみることも良いと思う。
意外とそうやって肩の力を抜いてやったことで、物事に対する答えを見つけるキーになったり、もっと言えば目の前に立ちふさがっている課題をクリアすることにおいて直結したりするわけだ。
遊びを見つけることにこそ、一流の道があると思っており、真面目過ぎるのも一つ考え物。
だから、無気力な時こそその気持ちに従って適当にやってみればいいと思う。
実際に筆者も、なにもうまくいかないときアニメ、映画、ゲームなどに没頭していた。そのときに経験が無駄になったかと言えば、個人的には全くもって無駄になっておらず、むしろ多角的に物事を見るうえですごく役立っていると言える。
まあそんな感じで、適当に生きていけば割と活路は見えてきたりするものだと思う。
参考記事
何もしたくないときの打開策はこれ
「何かしなきゃいけないのは分かっているのに、俺は何をしているんだ」
と。
ことビジネスの世界においても同じように何もしたくないという時があり、頑張ってお金稼ぎをしているのだけど、どうしてもうまくいかないときというものがあるわけだ。そう言った時はえてして、投げ出したり、サボりたくなるわけだ。
そう言った時に我々がすべきことは何なのか。と言えば、個人的に思っていることは、
「好き放題やってみる」
ということではないだろうか。
結論を言えば、上手くいかないときというのは何をしてもうまくいかないのだ。スポーツをやっている人間ならわかると思うが、流れというものが世の中にあり、それに流されているうちはどんな努力も無に帰すわけである。もうそれならば諦めて、自分の好きなようにやってみる。思いついたことを手あたり次第にやってみる。
これでいいと思うのである。
何もしたくないときに最も不味いことは、何もしないことだと思う。動かないと結局は何も変わらないのだ。雨は待っていてもやむかもしれないけど、現実の災難とか、苦悩はそんなに甘くないわけで。
そういった状況ならば、いっそのこと遊びでも、娯楽でもなんでもいいから、動いてみる。思考停止で感覚でやってみることも良いと思う。
意外とそうやって肩の力を抜いてやったことで、物事に対する答えを見つけるキーになったり、もっと言えば目の前に立ちふさがっている課題をクリアすることにおいて直結したりするわけだ。
遊びを見つけることにこそ、一流の道があると思っており、真面目過ぎるのも一つ考え物。
だから、無気力な時こそその気持ちに従って適当にやってみればいいと思う。
実際に筆者も、なにもうまくいかないときアニメ、映画、ゲームなどに没頭していた。そのときに経験が無駄になったかと言えば、個人的には全くもって無駄になっておらず、むしろ多角的に物事を見るうえですごく役立っていると言える。
まあそんな感じで、適当に生きていけば割と活路は見えてきたりするものだと思う。
参考記事
何もしたくないときの打開策はこれ
Posted by トラヌやす at
23:04
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2020年12月22日
見返りを求めないこと。
お金稼ぎで大事なことは、見返りを求めないことなのかもしれない。
もっと言えば、より多くの大金を得たいのならば、見返りなんてあてにならないような場所に自らを趣かせることが大事なのではないかと。
組織で働いているのならば、恐らく正当な対価というのは得られると思うし、その姿勢でも問題ないと思う。というのも時給というものがある程度決まっているからだ。自分の実力が組織の中で100ならば、100の給与をもらうことが出来る。そこに不満というのは基本的に生じにくい。もちろん多少なりとも生じるとも思う。「俺はこんなに頑張っているのに、なんでこれだけの給料とポストしか用意されていないんだ」と。
それでも、発狂するほどでもないと思う。
それは、今の会社で働いている人を見ればわかるだろう。確かに自分の仕事が嫌で自ら命を絶つ人もいるが大概は我慢できるほどにその役職に収まっている。
そしてある程度、時給制度という名の物で頑張った分だけお金をもらうことが出来ている。
しかしながら、実際に自分の力で働くとなると、これの計算が合わなくなる。
100頑張っても、1しか儲からないという場合がざらにあるし、その逆もしかり。
月に1000円も稼げない時期だってある。一方ではちょっとしかやっていないのに200万円の大金が懐に入ってきて、「こんだけしか頑張っていないのに、わるいなあ」と感じることだってある。
これが、自分で稼ぐということであり、そこははっきり言って理不尽な世界であると思う。ただ、ハイリスクハイリターンである。稼げない時期は絶対にあるものの、稼ぎにくい場所であればあるほどに稼げる時が来れば大きな金額が動き懐に入って来る。
僕がやっているアフィリエイトブログの運営という分野も実のところを言えば稼ぎにくい場所である。しかし一度稼ぎ方を覚えると帰って来る報酬はとてつもなく大きい。
自営業。
そこには「これだけやったのだから、これだけ儲かるだろう」という気持ちは最初からない。そしてこれこそが冒頭でも書いた通り、見返りを求めないということなのである。
勿論努力することは大事だし、稼ぐために最善を尽くすことは当たり前である。しかし、その努力は基本的に報われない。
最初からむくわれないとかんがえることがだいじなのだ。
俺は今から無駄なことを積み重ねる。
そう考えることが、すごく大事なのである。
僕のアフィリエイト報酬は現在は150万円。毎日4時間の労働でこれだけの収益が発生しているので普通の会社員よりは全然上だと思う。仕事の内容うんぬんより、稼げている金額は圧倒的に多い。今回の話で言えば見返りは相当良い物を得られているはずだ。
ただ「見返りを求めてここまでやってこれたか?」と言えば、絶対にそんなことはない。
最初の頃なんて、半年間は1銭も稼ぎが出なかった。やっと初めて出た収益は105円という雀の涙である、時給の計算も出来ない。
それでも、その少ない金額にやりがいを感じることが出来た。
会社でやりがい云々で、少ない賃金で働くことは良くないと思う。それでも、自分でお金稼ぎをするのであれば見返りなんて考えていたら、やってられないときがある。そう言った時は仕事をする大義名分の中に、やりがいを置くことも大事だと思うのである。
もっと言えば、より多くの大金を得たいのならば、見返りなんてあてにならないような場所に自らを趣かせることが大事なのではないかと。
組織で働いているのならば、恐らく正当な対価というのは得られると思うし、その姿勢でも問題ないと思う。というのも時給というものがある程度決まっているからだ。自分の実力が組織の中で100ならば、100の給与をもらうことが出来る。そこに不満というのは基本的に生じにくい。もちろん多少なりとも生じるとも思う。「俺はこんなに頑張っているのに、なんでこれだけの給料とポストしか用意されていないんだ」と。
それでも、発狂するほどでもないと思う。
それは、今の会社で働いている人を見ればわかるだろう。確かに自分の仕事が嫌で自ら命を絶つ人もいるが大概は我慢できるほどにその役職に収まっている。
そしてある程度、時給制度という名の物で頑張った分だけお金をもらうことが出来ている。
しかしながら、実際に自分の力で働くとなると、これの計算が合わなくなる。
100頑張っても、1しか儲からないという場合がざらにあるし、その逆もしかり。
月に1000円も稼げない時期だってある。一方ではちょっとしかやっていないのに200万円の大金が懐に入ってきて、「こんだけしか頑張っていないのに、わるいなあ」と感じることだってある。
これが、自分で稼ぐということであり、そこははっきり言って理不尽な世界であると思う。ただ、ハイリスクハイリターンである。稼げない時期は絶対にあるものの、稼ぎにくい場所であればあるほどに稼げる時が来れば大きな金額が動き懐に入って来る。
僕がやっているアフィリエイトブログの運営という分野も実のところを言えば稼ぎにくい場所である。しかし一度稼ぎ方を覚えると帰って来る報酬はとてつもなく大きい。
自営業。
そこには「これだけやったのだから、これだけ儲かるだろう」という気持ちは最初からない。そしてこれこそが冒頭でも書いた通り、見返りを求めないということなのである。
勿論努力することは大事だし、稼ぐために最善を尽くすことは当たり前である。しかし、その努力は基本的に報われない。
最初からむくわれないとかんがえることがだいじなのだ。
俺は今から無駄なことを積み重ねる。
そう考えることが、すごく大事なのである。
僕のアフィリエイト報酬は現在は150万円。毎日4時間の労働でこれだけの収益が発生しているので普通の会社員よりは全然上だと思う。仕事の内容うんぬんより、稼げている金額は圧倒的に多い。今回の話で言えば見返りは相当良い物を得られているはずだ。
ただ「見返りを求めてここまでやってこれたか?」と言えば、絶対にそんなことはない。
最初の頃なんて、半年間は1銭も稼ぎが出なかった。やっと初めて出た収益は105円という雀の涙である、時給の計算も出来ない。
それでも、その少ない金額にやりがいを感じることが出来た。
会社でやりがい云々で、少ない賃金で働くことは良くないと思う。それでも、自分でお金稼ぎをするのであれば見返りなんて考えていたら、やってられないときがある。そう言った時は仕事をする大義名分の中に、やりがいを置くことも大事だと思うのである。
Posted by トラヌやす at
00:54
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2020年12月21日
疲れた時に大事なことは2つです。
お金稼ぎにしろ、仕事にしろ、勉強にしろ。がんばることは疲れます。そしてもっと言えばつかれに疲れて限界を迎えることもあるだろうと思います。また、頑張っていても報われなくて挫折することもあります。そう言った時は体力的な疲れ以上に精神的な疲弊を大きく感じるでしょう。
結果を出すためにする努力という行動ですが、原則的言えば、続けることはすごく難しいことなのです。
人間の体力は有限であり、際限があります。それは今まで生きてきた中でなんとなくわかることであると思います。
ただ、凄い人というのは基本的に疲れた時にする行動が素晴らしく、こういった部分でそうでない人との差をつけることが出来るものなのだと思いますね。
では、凄い人とというのは疲れた時に何をするのでしょうか。僕が思っていることは2つです。
1つはとにかく休みまくる。ということです。基本的に疲れたら休むということがシンプルかつ効果的な手段です。それは言ってみれば当然のことなのです。しかしながら、多くの人は中途半端に休みます。その結果として再び前線に戻って戦おうとしたとき、少し疲れが残った状態で戦わないといけないことになります。これでは効率が悪くなります。例えるのなら、60%の充電しかできていないのに、使い倒されるスマホ、みたいな感じでしょうか。それではスマホの実力を発揮することが難しくなりますね。
それに、休んだのに結果が出なければ、自身の喪失にもなり、
「俺って万全の状態なのにこんなもんなのか」
と錯覚してしまうのです。
結果を出す人というのはそうではないのです。
これでもかというぐらいに、休みに休み、次の戦いに備えることが出来るのです。その結果として力を発揮しなければいけない場面においてフルに力を発揮し、出すべき結果を出すことが出来、また仮に結果が出せなくともまあ、自分で納得できる何かを掴むわけです。
ということで、まず一つとして疲れたのであれば、とにかく休んでみることをお勧めします。
ドラゴンボールでも悟空はしんど過ぎる特訓はあまり意味がないと語っていましたが、まさしくその通りだと思います。
2つ目にむしろ限界まで追い込んでみる。ということです。
先ほど書いた休みまくることが体力を全回復させるやり方であるのならば、こちらは最大体力を増やし、戦い続けることが出来る時間を増やす意図があります。
人間には限界があることはまず間違いのないことです。しかしその限界というものは伸ばすことが出来るのです。
10の限界を12にしたり、15にしたりすることが出来る。それは筋肉が負荷をかけられるとより強く、大きい負荷に耐えられるようになるのと一緒なのです。
かりにしんどいのであれば、あえてギリギリの限界まで自分を追い込んでみて、その中で自分の中のボーダーラインをどんどん更新していけば良いのではないかと思います。
多分どんな世界でも、高いレベルに行こうとすればするほどに、やり続ける力というものは求められるのですから。
ということで、今回は2つ書いていきました。
とにかく休むことと、とにかく追い込むこと。
この2つを意識しつつ、今の自分にあっている方を選び戦い抜いてみることをお勧めします。
結果を出すためにする努力という行動ですが、原則的言えば、続けることはすごく難しいことなのです。
人間の体力は有限であり、際限があります。それは今まで生きてきた中でなんとなくわかることであると思います。
ただ、凄い人というのは基本的に疲れた時にする行動が素晴らしく、こういった部分でそうでない人との差をつけることが出来るものなのだと思いますね。
では、凄い人とというのは疲れた時に何をするのでしょうか。僕が思っていることは2つです。
1つはとにかく休みまくる。ということです。基本的に疲れたら休むということがシンプルかつ効果的な手段です。それは言ってみれば当然のことなのです。しかしながら、多くの人は中途半端に休みます。その結果として再び前線に戻って戦おうとしたとき、少し疲れが残った状態で戦わないといけないことになります。これでは効率が悪くなります。例えるのなら、60%の充電しかできていないのに、使い倒されるスマホ、みたいな感じでしょうか。それではスマホの実力を発揮することが難しくなりますね。
それに、休んだのに結果が出なければ、自身の喪失にもなり、
「俺って万全の状態なのにこんなもんなのか」
と錯覚してしまうのです。
結果を出す人というのはそうではないのです。
これでもかというぐらいに、休みに休み、次の戦いに備えることが出来るのです。その結果として力を発揮しなければいけない場面においてフルに力を発揮し、出すべき結果を出すことが出来、また仮に結果が出せなくともまあ、自分で納得できる何かを掴むわけです。
ということで、まず一つとして疲れたのであれば、とにかく休んでみることをお勧めします。
ドラゴンボールでも悟空はしんど過ぎる特訓はあまり意味がないと語っていましたが、まさしくその通りだと思います。
2つ目にむしろ限界まで追い込んでみる。ということです。
先ほど書いた休みまくることが体力を全回復させるやり方であるのならば、こちらは最大体力を増やし、戦い続けることが出来る時間を増やす意図があります。
人間には限界があることはまず間違いのないことです。しかしその限界というものは伸ばすことが出来るのです。
10の限界を12にしたり、15にしたりすることが出来る。それは筋肉が負荷をかけられるとより強く、大きい負荷に耐えられるようになるのと一緒なのです。
かりにしんどいのであれば、あえてギリギリの限界まで自分を追い込んでみて、その中で自分の中のボーダーラインをどんどん更新していけば良いのではないかと思います。
多分どんな世界でも、高いレベルに行こうとすればするほどに、やり続ける力というものは求められるのですから。
ということで、今回は2つ書いていきました。
とにかく休むことと、とにかく追い込むこと。
この2つを意識しつつ、今の自分にあっている方を選び戦い抜いてみることをお勧めします。
Posted by トラヌやす at
01:12
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2020年12月19日
才能がない時の対処法。
どんな世界でも己の才能に対して、限界を感じるときがあると思う。
スポーツをしているならば、めちゃくちゃ努力しても130キロしか出なければ、己の才覚を疑ってしまうだろう。
ビジネスの世界ならば、副業でどれだけ頑張っても月1000円も稼げなければ、己の才覚を疑ってしまうだろう。仕事でも10年続けているのに怒られまくっているのなら、己の・・・・
努力は報われる。
この言葉自体。本当だと思う。
それでも、やっぱり、才能というものは厳然たるものとして僕たちの歩みを邪魔するものであると言える。
書く言う僕は一応個人事業主をやっている。才能は・・・?というと、これが笑えるほどに全くなかった。だから挫折もした。このままやっていても仕方がないな。と嘆くことも。
それでも、今はそれなりの収益を上げることが出来ていて、月収は150万円ぐらい儲かっている。
まあ少ない方だと思うが、それでも高卒の底辺人間としては頑張れているのではないかと、自分で思っている。
話に戻ろうと思うが、才能がない人間はどうすればいいのだろうか。
第一に思っていることは、とにかく数をこなすこと。才能というものは実際は意地悪なもので、欲しい欲しいと願うほど、遠ざかっていってしまうものなのだ。
だから、結果なんてどうでもよくなるほどに一つのこと突き詰めまくっていくと、意外と結果が出たりする。
この手法は僕自身良くやった。それで副業時代は月30万円ほど稼げるまで成長できた。こういった経験があるから僕は
「努力が報われるとは限らないが、死ぬほどやった努力はある程度報われる」
という座右の銘を持っている。
もし今やっている分野で結果が出ていないのであれば、とにかく目の前のことを死ぬほど突き詰めてみよう。
結果なんてどうでもよくなるぐらいにしゃぶりつくしてみることをお勧めする。
ハンターハンターという漫画で、正拳突きを毎日1万回突き続けることで、作中最強の使い手になったキャラクターがいたが、あれはまさに理想形だと思う。
第二に、自分の守備範囲を理解することだと思う。
やはり人間である。そこには個性があるのだ。
だからこそ、自分にできることと、出来ないことがあることを理解してどれだけ頑張っても無理そうだなということは、思い切って捨ててみることが大事だと思う。
特別な思い入れがあるのなら、突き詰めても良い。それでも、大概は失敗に終わるというのが僕自身生きてきて思っていること。
一方で特に思い入れがないのに結果が出てしまう分野というものがある。
僕はそこに力を注いでみることが、大事だと思う。
水を得た魚になることが、社会で生きる最強のコツだ。
最後。
他人のせいにしないこと。
結局のところ、今の自分が上手くいっていないのは全部自分が悪い。
そこを理解せずにどこかで他人のせいにしているのなら、それを今すぐ辞めるべきだ。
人のことを悪く思うことは実はすごく燃費が悪く、もったいないこと。時間と労力の無駄であることは間違いがない。
また、明らかに自分の足を引っ張っている人間がいるのなら、縁を切るべきだと思う。
そういったことをするのは心が痛むと言う人もいるが逆である。
仲良く出来ない人間とムリに触れ合う方がお互いにとって良くないのだ。だからこそ一思いに縁を切り、関係をリセットすることが大事だと僕は思っています。
才能がない、ということはすごくショッキングなこと。
しかし、考え方を変えれば
「自分は才能がないから努力できる」
そういった風に転換できなくもない、実際に僕はそう思ってやってきた。
すると続けていく内に才能が開花して、そこまで続けてきた中で身に付いた経験と相まって爆発的に結果が出るときが来た。
結局のところ、どんな分野でも時間がかかる。
だから、気長に頑張るしかないのだ。
スポーツをしているならば、めちゃくちゃ努力しても130キロしか出なければ、己の才覚を疑ってしまうだろう。
ビジネスの世界ならば、副業でどれだけ頑張っても月1000円も稼げなければ、己の才覚を疑ってしまうだろう。仕事でも10年続けているのに怒られまくっているのなら、己の・・・・
努力は報われる。
この言葉自体。本当だと思う。
それでも、やっぱり、才能というものは厳然たるものとして僕たちの歩みを邪魔するものであると言える。
書く言う僕は一応個人事業主をやっている。才能は・・・?というと、これが笑えるほどに全くなかった。だから挫折もした。このままやっていても仕方がないな。と嘆くことも。
それでも、今はそれなりの収益を上げることが出来ていて、月収は150万円ぐらい儲かっている。
まあ少ない方だと思うが、それでも高卒の底辺人間としては頑張れているのではないかと、自分で思っている。
話に戻ろうと思うが、才能がない人間はどうすればいいのだろうか。
第一に思っていることは、とにかく数をこなすこと。才能というものは実際は意地悪なもので、欲しい欲しいと願うほど、遠ざかっていってしまうものなのだ。
だから、結果なんてどうでもよくなるほどに一つのこと突き詰めまくっていくと、意外と結果が出たりする。
この手法は僕自身良くやった。それで副業時代は月30万円ほど稼げるまで成長できた。こういった経験があるから僕は
「努力が報われるとは限らないが、死ぬほどやった努力はある程度報われる」
という座右の銘を持っている。
もし今やっている分野で結果が出ていないのであれば、とにかく目の前のことを死ぬほど突き詰めてみよう。
結果なんてどうでもよくなるぐらいにしゃぶりつくしてみることをお勧めする。
ハンターハンターという漫画で、正拳突きを毎日1万回突き続けることで、作中最強の使い手になったキャラクターがいたが、あれはまさに理想形だと思う。
第二に、自分の守備範囲を理解することだと思う。
やはり人間である。そこには個性があるのだ。
だからこそ、自分にできることと、出来ないことがあることを理解してどれだけ頑張っても無理そうだなということは、思い切って捨ててみることが大事だと思う。
特別な思い入れがあるのなら、突き詰めても良い。それでも、大概は失敗に終わるというのが僕自身生きてきて思っていること。
一方で特に思い入れがないのに結果が出てしまう分野というものがある。
僕はそこに力を注いでみることが、大事だと思う。
水を得た魚になることが、社会で生きる最強のコツだ。
最後。
他人のせいにしないこと。
結局のところ、今の自分が上手くいっていないのは全部自分が悪い。
そこを理解せずにどこかで他人のせいにしているのなら、それを今すぐ辞めるべきだ。
人のことを悪く思うことは実はすごく燃費が悪く、もったいないこと。時間と労力の無駄であることは間違いがない。
また、明らかに自分の足を引っ張っている人間がいるのなら、縁を切るべきだと思う。
そういったことをするのは心が痛むと言う人もいるが逆である。
仲良く出来ない人間とムリに触れ合う方がお互いにとって良くないのだ。だからこそ一思いに縁を切り、関係をリセットすることが大事だと僕は思っています。
才能がない、ということはすごくショッキングなこと。
しかし、考え方を変えれば
「自分は才能がないから努力できる」
そういった風に転換できなくもない、実際に僕はそう思ってやってきた。
すると続けていく内に才能が開花して、そこまで続けてきた中で身に付いた経験と相まって爆発的に結果が出るときが来た。
結局のところ、どんな分野でも時間がかかる。
だから、気長に頑張るしかないのだ。
Posted by トラヌやす at
22:14
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2020年12月17日
金を稼ぎたいのなら、体を鍛えろ。
今回は、金を稼ぐうえで意外と大事な筋トレについて書いていきます。
おいおい、筋肉とお金稼ぎは関係ねえだろと思っている人もいるのかもしれません。しかしながらこれが実に関係があるのです。
その理由を掘り下げて書いていけば、次のようになります。
まず、お金稼ぎは何でするのか。という話なのですが、これに関して言えば、答えはいろいろ違ってくるのではないかと思います。頭の良さとか、センス、教養。まあ言ってみれば頭脳。ここにお金稼ぎの答えが詰まっているのではないかと。多くの人は結論を下すのではないかと思います。
しかしながら、違うのです。
お金稼ぎは体でするのです。
というのも、自分の体が健康で強くなければそもそもの話お金なんて稼ぐことが出来ません。どれだけ明晰でも、デスクの前で長時間仕事をこなす体力がなければ、お金を稼ぐことなんて土台無理な話です。
それに、筋肉を日ごろから鍛えていれば活動時間が増えます。休む時間を少なくし、働く時間を増やすことが出来ます。そうなれば、シンプルに仕事の進捗が進むのではないかと思います。
お金稼ぎは、どれだけその世界に長く足を踏み入れていたか。これがカギになるのです。そういった意味においてはお金稼ぎの土台は強い体にあるのだと思っています。
実際に僕の周りにも病弱なお金もちは中々いません。基本的に体を鍛えており、強い体と強い意志をもって仕事に取り組んでいる人がほとんどです。
そういったこともあるので、やはり強い体は必要なのだと思っています。
また、筋トレをするのとお金稼ぎをするのはある意味では同じです。
筋トレで最も大事なことは継続です。そしてお金稼ぎに最も大事なことも継続なのです。続けることで、能力が上がっていき、積み上がっていきます。
その積み上がりが、筋肉かお金なのか。そこが違うだけであり、2つともやっていることは一緒なのです。そういったこともあり、筋トレで成果を上げている人は、お金稼ぎでも成果を上げやすいし、お金稼ぎで成果を上げている人は、筋トレでも成果を上げやすい。
お金稼ぎに必要な強さを手に入れるために。ぜひ筋肉を強くしていくことを僕はオススメします。
道は険しいし、無理には進めません。しかし、必ずといっていいほど断言できることは、やっていたら絶対に何かしらが変わるということでしょう。人は極地にこそ何かしらの答えを見出します。筋トレも限界まで追い込んだときに、自分の中で気づくものがあり、そこで見つけた物というのは人生において何かしらの財産になるのだと思います。
そして何度も言う様に、お金稼ぎにも大きな効果を発揮するわけです。
おいおい、筋肉とお金稼ぎは関係ねえだろと思っている人もいるのかもしれません。しかしながらこれが実に関係があるのです。
その理由を掘り下げて書いていけば、次のようになります。
まず、お金稼ぎは何でするのか。という話なのですが、これに関して言えば、答えはいろいろ違ってくるのではないかと思います。頭の良さとか、センス、教養。まあ言ってみれば頭脳。ここにお金稼ぎの答えが詰まっているのではないかと。多くの人は結論を下すのではないかと思います。
しかしながら、違うのです。
お金稼ぎは体でするのです。
というのも、自分の体が健康で強くなければそもそもの話お金なんて稼ぐことが出来ません。どれだけ明晰でも、デスクの前で長時間仕事をこなす体力がなければ、お金を稼ぐことなんて土台無理な話です。
それに、筋肉を日ごろから鍛えていれば活動時間が増えます。休む時間を少なくし、働く時間を増やすことが出来ます。そうなれば、シンプルに仕事の進捗が進むのではないかと思います。
お金稼ぎは、どれだけその世界に長く足を踏み入れていたか。これがカギになるのです。そういった意味においてはお金稼ぎの土台は強い体にあるのだと思っています。
実際に僕の周りにも病弱なお金もちは中々いません。基本的に体を鍛えており、強い体と強い意志をもって仕事に取り組んでいる人がほとんどです。
そういったこともあるので、やはり強い体は必要なのだと思っています。
また、筋トレをするのとお金稼ぎをするのはある意味では同じです。
筋トレで最も大事なことは継続です。そしてお金稼ぎに最も大事なことも継続なのです。続けることで、能力が上がっていき、積み上がっていきます。
その積み上がりが、筋肉かお金なのか。そこが違うだけであり、2つともやっていることは一緒なのです。そういったこともあり、筋トレで成果を上げている人は、お金稼ぎでも成果を上げやすいし、お金稼ぎで成果を上げている人は、筋トレでも成果を上げやすい。
お金稼ぎに必要な強さを手に入れるために。ぜひ筋肉を強くしていくことを僕はオススメします。
道は険しいし、無理には進めません。しかし、必ずといっていいほど断言できることは、やっていたら絶対に何かしらが変わるということでしょう。人は極地にこそ何かしらの答えを見出します。筋トレも限界まで追い込んだときに、自分の中で気づくものがあり、そこで見つけた物というのは人生において何かしらの財産になるのだと思います。
そして何度も言う様に、お金稼ぎにも大きな効果を発揮するわけです。
Posted by トラヌやす at
22:40
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2020年11月10日
嫌いなことをして、やりたいことをやる能力。
好きなことのために嫌いなことをする能力
ハンバーグが食べたいから、ブロッコリーを食べるよ。
野球でホームラン打ちたいから、筋トレするよ。
人生楽になりたいから、勉強するよ。
いろいろな人を見てきたのですが、これが出来る人はやはり強いなあと思います。
確率で言えば、9割は優秀なグループに入っています。
ってことで、個人的な経験則も踏まえてこれを
勝者の能力
と呼ばせてもらいます。
では、この能力をいかにして開花させるか?
ということですが、
とにかく、いろいろする。
これが大事かと。
僕の場合は、お金持ちになりたい。
という漠然で、具体性のない目標がありました。
そのときに、いろいろなビジネスに手をだして、6連敗ぐらいしたのですが、7戦目にブログというビジネスと出会って、そこから連勝街道を歩めた感じです。
ブログは嫌なことの繰り返しでしたが、それでも続けること、やりたいことがたくさんできました。
とにかくは、
ゲームでもなんでもいいので、始めてもらいたい。
ということですね。
ハマれる何かがあれば人生の見方はどこかしら変わります。
そして見方が変われば、歩き方が変わります。
どうすれば、速く目的に着くか。
歩くのではなく、走ればいいのではないか。
走るのではなく、自転車に乗ればいいのではないか。
って感じですかね。
勿論、頑張っていく間に、やりたくないことがあるかもしれませんが。
そこは、好きなもののためです。
今回書いたように、
勝者の能力を発動させることが出来るはずです。
人生の必勝法は、
これをするためならば、嫌いなことをやっても良い。
と思えることをすることなのかと思いますね。
Posted by トラヌやす at
21:03
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2020年10月29日
ビジネスとは、経験値を売ること。
久しぶりの更新になります。
トラヌやすプレゼンツ。
今回は、経験値とビジネスに関係することを書いていきます。
第一にビジネスとは経験値を売ることだ。
と思っています。
これは、どういったことか、まあ勘の良い人は分かると思いますが。
自分がやってきた人生経験を言語化し、それを消費者に問いかける。
その中で、共感を得ることが出来た人に、既存のアイテムを紹介し販売すること。
これがビジネスの本質だと思うのです。
例えば、商売人Aは筋トレで長年悩んでいました。
筋肉はつかず、痩せない。
所が、あるトレーニング器具を購入したことを皮切りに、体脂肪率がとてつもなく落ち。
さらに体がでかくなりました。
この時の経験を活かし、そのトレーニング器具を改良し、より自分向けに作ったもの。
これを、筋トレで悩んでいる人に販売する。
ここで、金額が発生し、黒字になればビジネスが成立していることになります。
世の中のビジネスはどうでしょうか。
恐らくゲームを作っている人は、
「こんなゲームがあれば、楽しいだろうな」
と思って、作品を作っていると思います。
お菓子を作っている人は子供の時に
「こんなのがあれば、幸せだろうにな」
と思って、お菓子を発明すると思います。
バット職人も昔は
「こんなバットがあれば、野球が楽しくなるだろうな」
と思って、丹精込めてバットを作っているのだと思います。
この世の商売の本質は、経験値を源泉に作られているのだと思います。
火が扱いづらいから、電球が生まれ、電球の効率が悪いから、LEDが生まれたように。
不満や、楽しかった経験をよりもっと味わいたいがために。
より良い物を紹介し、販売していく。
そう言ったものとで、ビジネスは成り立っており、そこを忘れてしまわないようにするのが。
ビジネスをする上で大事なのだと思います。
とまあ、語ってみましたが、正直言いたいことが上手く纏まらず勢いだけでしゃべってみましたww
とはいえ、久しぶりに文章を書くことが出来てよかったです。
また今度会った時はよろしくお願いします。
トラヌやすプレゼンツ。
今回は、経験値とビジネスに関係することを書いていきます。
第一にビジネスとは経験値を売ることだ。
と思っています。
これは、どういったことか、まあ勘の良い人は分かると思いますが。
自分がやってきた人生経験を言語化し、それを消費者に問いかける。
その中で、共感を得ることが出来た人に、既存のアイテムを紹介し販売すること。
これがビジネスの本質だと思うのです。
例えば、商売人Aは筋トレで長年悩んでいました。
筋肉はつかず、痩せない。
所が、あるトレーニング器具を購入したことを皮切りに、体脂肪率がとてつもなく落ち。
さらに体がでかくなりました。
この時の経験を活かし、そのトレーニング器具を改良し、より自分向けに作ったもの。
これを、筋トレで悩んでいる人に販売する。
ここで、金額が発生し、黒字になればビジネスが成立していることになります。
世の中のビジネスはどうでしょうか。
恐らくゲームを作っている人は、
「こんなゲームがあれば、楽しいだろうな」
と思って、作品を作っていると思います。
お菓子を作っている人は子供の時に
「こんなのがあれば、幸せだろうにな」
と思って、お菓子を発明すると思います。
バット職人も昔は
「こんなバットがあれば、野球が楽しくなるだろうな」
と思って、丹精込めてバットを作っているのだと思います。
この世の商売の本質は、経験値を源泉に作られているのだと思います。
火が扱いづらいから、電球が生まれ、電球の効率が悪いから、LEDが生まれたように。
不満や、楽しかった経験をよりもっと味わいたいがために。
より良い物を紹介し、販売していく。
そう言ったものとで、ビジネスは成り立っており、そこを忘れてしまわないようにするのが。
ビジネスをする上で大事なのだと思います。
とまあ、語ってみましたが、正直言いたいことが上手く纏まらず勢いだけでしゃべってみましたww
とはいえ、久しぶりに文章を書くことが出来てよかったです。
また今度会った時はよろしくお願いします。
Posted by トラヌやす at
13:08
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2020年10月18日
お金と感謝の関係性。
どうもトラヌやすの時間です。
今回は、
お金と感謝。
これについて書いていきます。
ともかく、お金は感謝の上に積み上がるものだと思います。
これは僕の経験値から思うことです。
僕の本ブログはそれなりに収益化出来ているのですが、
LionHeart
このブログでともかく、大事だったのはやはり感謝でした。
今回は、
お金と感謝。
これについて書いていきます。
ともかく、お金は感謝の上に積み上がるものだと思います。
これは僕の経験値から思うことです。
僕の本ブログはそれなりに収益化出来ているのですが、
LionHeart
このブログでともかく、大事だったのはやはり感謝でした。
良く言われることは、
ギブ&テイク
です。
しかし、お金稼ぎの世界では、
ギブ×100&テイク
この意識が大事になるワケで。
実は以前の僕は守銭奴でした。
どんな記事にも、広告貼まくりでそのくせして収益はまったくできない始末。
そして、いろいろなビジネス書を読み漁るも。
結果は変わらず。
そう言った時に、マナブさんというブロガーがSNSで
稼ぐとはギブの気持ちが大事だ
というツイートを発信されていました。
1000万稼ぐwebクリエイターの言葉に、僕はすっかり考えを改めさせられまして。
そこから、ブログの広告記事を厳選し。
しょうもない記事にある広告を引っぺがしました。
すると、そこから間もなく感謝の気持ちを伝える人が増えていき。
収益も上がっていったのです。
その結果。
僕のマーケティングスタイルは
感謝
これをテーマにしている感じです。
あくまで僕が意識していることですが、全ての金稼ぎの共通項ではないでしょうか。
感謝とは
Posted by トラヌやす at
07:03
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2020年10月13日
トラヌやすが思う、販売に大事なこと。
今回はビジネスの基本、
販売
ここを掘り下げようと思います。
お金は人類の血液。
止まれば、人類はその活動を停止せざるを得ないです。
そう考えると、やはり販売に対する知識もある程度身に着けるべきですよね。
今回は、
販売
ここを掘り下げようと思います。
お金は人類の血液。
止まれば、人類はその活動を停止せざるを得ないです。
世界中で滞りなく、販売が繰り返され、その中で人類は活性化しています。
僕たちはお金という血液を動かす一細胞なのです。
そう考えると、やはり販売に対する知識もある程度身に着けるべきですよね。
僕たちが普段どういったメカニズムでものを買うか?
それを知っておくとお金に対する価値観がちょっと変わり。
今後の人生を5ミリほど生きやすくなると思います。
今回は、
販売促進
この手法について書いていこうと思います。
僕の経験上で思うことは
3つ。
3つ。
知ってもらうこと
興味を持ってもらうこと
購入してもらうこと。
お金稼ぎはこの3段階で行われます。
第一ステップ知ってもらうこと
これは全ての起点です。
まずは商品以前の概念を知ってもらうことです。
例えば、暇な人がいたとします。
そう言った人は遊びを探しているわけです。
そう言う部類にいる人にゲームという手法を知ってもらう。
これが、第一ステップです。
これに関しては、皆さんもご存知CMや広告などがあります。
まず知ってもらわないと意味がありません。
だから、企業はここにすごくお金を使います。
有名人がスキャンダルを起こしたとき、謝罪をするのは、そう言った部分も大きく関係しています。
第二ステップ興味を持ってもらうこと
例えば、遊びの手段でゲームを知っている人は、
「どういったゲームが良いのかな?」
と思うわけです。
そこで、本格的に自分の商品をPRします。
「ドラゴンクエストは老若男女全ての人に受け入れられる。」
そういったPRをすれば、多くの人に興味を持ってもらえると思いますし。
逆にとがった感じで、
「グラセフは、日常の退屈感をゲーム内で発散できる」
とすれば、一定の層に興味を持ってもらえます。
自分が売る商品に見合ったPRをすれば、効果性は絶大です。
その反面、商品と全くあっていない属性に売っても、良い効果は得られません。
だからこそ、
敵を知り己を知ること。
これこそが、このステップで大事です。
最終ステップ買ってもらうこと
最後はこちらになります。
購入してもらうこと。
しかし、多くの人はお金を払いたくありません。
だから、ここで多くの客が脱落する可能性があります。
ネットでも詰めが甘いのか、ここがしっかりしていない人が多いと感じます。
大事なことは3つ
・選択の自由
・効果性を伝える
・デメリットを伝える。
これらですかね。
選択の自由は
「別に買わなくても、かまわない。」
という余裕を売り手側が持っていないとだめだ。
ということです。
北風と太陽です。
寒い風を相手に送ったところで、相手は服を脱いではくれません。
効果性を伝えるは、商品をクリアにする役割があります。
どんな人も不透明な商品は敬遠します。
ですから、魅力や性能、値段を余すことなく伝えるわけです。
これが弱いと離脱する原因になるワケです。
最後にデメリットを伝える。
ですね。
はっきり言ってデメリットのない製品はありません。
だからこそ、ここをしっかりと伝えないと買い手側に不安が残るわけです。
自分の商品をしっかりと把握できていたら、その悪いところを容赦なく紹介しましょう。
すると意外と、受け入れられるのです。
まとめ
今回は販売促進について書いてみました。
意外と、奥が深い販売の世界。
どうでしょう。
ここを極めると、将来的にお金持ちになれるかもしれません。
勿論、一筋縄ではいかない世界ですが。
それでも、急速なレベルアップが出来る世界だと思います。
Posted by トラヌやす at
17:37
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